「自分の晩年を20代半ばに想定していた詩人・立原道造。日本の近代文学は結核によって発熱した」1939(昭和14)年とその前後【宝泉薫】
【連載:死の百年史1921-2020】第15回(作家・宝泉薫)
1937(昭和12)年には、作家の北条民雄と詩人の中原中也。北条はハンセン病文学で知られるが、23歳での死は腸結核によるものだった。中原の場合は、30歳での結核性髄膜炎。体調不良が結核によるものとなかなかわからず、2ヶ月ほど病んだあとにあっけなく最期を迎えた。それに加え、作風の印象もあってか、不思議と悲壮感がない。母のフクが後年、
「とにかく死ぬまで、一度も働いたことがありません。ずっと、私の仕送りで生活しておりました。それでも女中をおいておったんです」
などと語っているのを見ても、詩に恋に酒に、自由に生きて子供のまま去っていった感じがする。ただ、一生無職だったわけではなく、詩で収入を得たこともあったようだ。彼の名誉のために付け加えておく。
その翌年には、この連載の第14回で見た『智恵子抄』のヒロイン・高村智恵子が亡くなった。高村光太郎と彼女の関係は、堀辰雄と矢野綾子のそれに少し似ている。堀と婚約中だった1935(昭和10)年、矢野は25歳で他界。結核療養所での「皆がもう行き止まりだと思っているところから始っているような」「いくぶん死の味のする生の幸福」は小説『風立ちぬ』に昇華され、戦地の若者に愛読された。
なお、この小説のファンでもあったスタジオジブリの宮崎駿が制作したのがアニメ映画の『風立ちぬ』だ。主人公のモデルは東大工学部を出て零戦の設計者となった堀越二郎だが、ヒロインは堀の婚約者だった矢野を思わせる女性で、やはり結核で夭折してしまう。
また『風立ちぬ』からは松田聖子の同名曲や同名アルバムを思い出す人もいるはず。これらの作詞者かつプロデューサー的存在だった松本隆も、堀の世界観が好みなのだろう。聖子に対しては、別のアルバムで「燃える頬」というフレーズが印象的な『P・R・E・S・E・N・T』という作品も書いた。そこには堀の短編『燃える頬』への意識も見て取れる。脊椎カリエスで夭折する美少年が登場するBL(ボーイズラブ)的な短篇である。
そういえば、松本が好む言葉に「微熱」がある。やや、こじつけめくものの、日本の近代文学が体現した異様な熱気には、結核という時代の病も作用していた。大げさにいえば、結核が文学の発熱装置でもあったのだ。松本はそういうものにどこか畏敬にも似た憧れを抱いていたのではないか。そこで自らの領域に、いわば余熱を持ち込むようにして、新たな時代に合った微熱的傑作を生みだしたともいえる。
宮崎もまたしかり。彼の『風立ちぬ』は喫煙シーンの多用でも話題になったが、当時の風俗への郷愁的なこだわりも強く感じられた。老いてなお、微熱を持ち続けている証しだろう。
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